2017年9月13日水曜日

105_拾う神あらば捨てる神あり

その両方と手をつないだら

お久しぶりです,2017年度の司法試験の合格発表がありましたね。
今年は京都未修の合格率が高くて,喜ばしい限りです。

合格された方はおめでとうございます。
P志望の方は,早いうちに検察庁説明会があるので,申し込みましょう。
不合格となってしまった人には,残念ではありますが,辛いときには誰かと話すのが非常に大切だと思います(一人だと無駄に凹みがちと,最近,痛切に感じます)。
「負けたことがある」というのはいつか大きな財産になったり,ちょっとぐらいの絶望も長い目で見れば極上のスパイスになったりするんじゃないでしょうか。
頑張りを見てる人は意外なところにいるもんですよ,ほんと。

修習について話をききたい人は,ブログじゃ書けないので,メールでも直接でも色々とお話しします。
1年というのは長いような短いようなで,結局,自分は弁護士になるのですが,
自分の行く事務所は弁護士・会計士のダブルライセンスでチームを組んでやっていくところで,
自己受任が自由かつ(少なくとも当面は)事務所に経費を入れなくていい,という素晴らしい事務所なのですが,
その代わり,色々とぬるま湯要素の全くない事務所です。
幸いなことに,事務所の人には非常に恵まれていそうなので,喜ばしい限りです。

弁護士・会計士としてやりたいことは概ね決まっており,法的・会計知識の研鑽に加え,
各種分野(弁護士含む)のスペシャリストとの連携,金融やITといった周辺分野の知識も必要なのですが,
これらをどのように構築し,役立てられるか,果たして自分にはどのような需要があるのか,当面の検討課題となりそうです。
弁護士も医者の専門医制度みたいのが欲しい気もしますが,誰がどう認定するかで議論になりそうです。
(刑事弁護については「弁護士が選ぶ刑事弁護人」がありますね)


時の流れは,崇高なものを,なしくずしに,滑稽なものに変えてゆく。 何が蝕まれるのだろう。
もしそれが外側から蝕まれてゆくのだとすれば,もともと崇高は外側をおおい,滑稽が内奥の核をなしていたのだろうか。
あるいは,崇高がすべてであって,ただ外側に滑稽の塵が降り積もったにすぎぬのだろうか。
三島由紀夫『奔馬』

1 件のコメント :

  1. もともとは検察官を志望されていたようですが、なぜ最終的には弁護士への就職を決断されたのでしょうか。修習を通して心境に変化があったのでしょうか。

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